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1.枡形 | |||
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春の桜と枡形 代官が用事で出かける時、この広場で人員をそろえた(一般には、戦国期の城での防御と出撃に備えた広場をいう) 坦庵公は、外国の侵略にそなえ、農民の兵隊(農兵)を組織し、この広場で訓練をした。 |
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2.表門と玄関 | |||
◎ 表門 元禄9年(1696年)に建てられ、文政6年(1823年)に修復され、平成12年に解体修理をした。 門の形態(構造)は、薬医門と言われる。 奥に見えるのは主屋玄関。 |
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◎ 玄関 武家屋敷の正式な出入り口であり、 身分のある来客と、主人が使う。 この写真は、’08年の大河ドラマ「篤姫」 のシーンで、分家から本家への出立や、 お嫁入りの時などは、女子も玄関から 出発のようだ。 ![]() |
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篤姫の実家から、本家の島津家へ 養女として出発するシーンはここで撮影された。 |
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3.キササゲ | |||
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主屋玄関から見た キササゲの木 一年草豆科のササゲのような莢がたれさがる。 このキササゲの実は漢方薬となる。 この木は北条早雲が植えたという、言い伝えがある。 |
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4.役所跡 | |||
代官所の事務所は、この梅林にあった。 梅林の間から富士山が見える。 |
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5-a 欅(けやき) | 5-b 桜の宿り木(寄生木) | ||
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宿り木の親木のセンダンは枯れて しまったが、その欅の根は地面に届 いていたので、そのまま成長して、 今の大きさになった。 |
親木の桜(樹齢60年)にもみじ(25年)と樫(15年のどんぐり)の木が寄生している。 上の写真は、春の桜花と、秋の紅葉が 1本の木で楽しめる 珍しい寄生木。 |
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6.土間 | |||
土間には大かまど、ぺりーの大砲、パン釜、生き柱 などの展示がある 床を土で固めた部屋を土間というが、コンクリートがない時代は、赤土、砂、石灰に苦汁を加えてねり、たたき固めたので「たたき」といわれ、 三和土と書いた。 土間は火を扱う台所や、藁仕事など作業場として使われ、苦汁が適当な湿気をよぶので、ほこりがたたない。 |
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7.生き柱 | |||
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礎石がなく、削り方が他の柱と違うなどに気付く。 文化年間の修理の時、不審に思い 根元を130cmほど掘り下げたが、 途中であきらめた。 江川家がこの地に移り住んだ時に、 生えていた欅をそのまま柱として利用 したものと考えられ、大事にされている柱で、 生き柱とよばれている。 |
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8.棟札箱 | |||
家が建てられると、その年月日 などを記して納める箱である。 この箱には、日蓮聖人が、江川家が 火事などにあわぬようにと書いた 防火符が納められている。 16代英親(1261年)の時であり、 その後この家は火災にあっていない。 |
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小屋裏は、たくさんの桁・ 貫で組まれ、 くぎや、ねじ類を使わない柔軟工法が 耐震構造となっている。 |
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9.井戸 | |||
建長年中(1250年)より、江川家では、 酒造を営んでいたといわれるが、 古くから酒造用や生活用水として、 この井戸を利用してきた。 |
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10.西蔵 | |||
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建築は幕末。 正面と側面から見ると、わずかに 内側に傾いている、このような 建て方を「四方ころび」という。 屋根の形は、兜を思わせるので「兜づくり」、 庇は伊豆石を加工した瓦である。 また正面から見ると将棋の駒形に見えることから駒蔵とも呼ばれてきた。 (平成12年解体修理) |
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11.南米蔵・12.北米蔵 | |||
南米蔵 明治25年に建築された米蔵である。 北米蔵 大正8年に建築された。 南北米蔵は置屋根、下見板が取り外しできる作り方になっている。(平成12年解体修理) |
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13.武器庫 | |||
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幕末に建築された。農兵が用いた鉄砲、火薬の原料などが保管されていた。(平成12年解体修理) |
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14.パン祖の碑 | |||
西洋式パンは16世紀に日本に伝来したが、キリシタン禁教令とともに製造は禁止されたという。坦庵公は、外国と戦争になった時、兵隊の食料を確保することは何よりも大切と考え、保存のできるパンを焼くことを思いつき、長崎のパン職人「作太郎」が江戸に来たことを知って、手代の柏木忠俊に、その製造法を学ばせた。 作太郎は、江川邸に来て、パン窯の作り方、パンの焼き方の実際を示した。 全国より砲術を学びにきた多くの若者が、このパン焼き法を身に付け、それぞれの国に帰った。 全国パン協議会では、坦庵公が西洋式パンを全国に広めたこの功績を称え、昭和28年にこの碑を建てた。 |
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15.びらん樹 | |||
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暖地に自生するバラ科常緑樹で、6月ごろ幹の皮が剥がれて落ちるのでこの名がある。別名、バクチノ木(博打の木)ともいわれる。葉は煎じて、咳止めや鎮静剤として使われた。 屋敷には、漢方薬として利用されたいろいろな木が植えられている。 |
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16.裏門 | |||
古くは茅葺き屋根であった。門扉の表側には、多くの凹んだ跡があるが、指をさし込むと鋭い金属に触れる。 天正18年(1590年)、秀吉の小田原攻めで、韮山城の砦であったこの屋敷も攻められが、その時の銃丸や矢じりの跡である。 (昭和62年修理、扉は古いものをそのまま使用) |
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17.韮山郷土史料館 | |||
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企画展示室(1階右側) 年2回の企画展を開催。 主として江川家に伝来した、古文書・書画などを中心に展示している。 常設展示室 弥生時代後期の山木遺跡をはじめ、市内に多数存在する遺跡の出土品を中心に、旧石器時代から戦国時代にいたる伊豆の国市地域の歴史資料を展示。 山木遺跡の出土品のうち、木製品など239点は、国の重要有形民俗文化財に指定されている。 |
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