| 1.枡形 | ||||
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春の桜と枡形 枡形から裏門まで 見取図に戻る |
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| 代官が用事で出かける時、この広場で人員をそろ えた(一般には、戦国期の城での防御と出撃に備え た広場をいう)坦庵公は、外国の侵略にそなえ、農民 の兵隊(農兵)を組織し、この広場で訓練をした。 |
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| 2.表門 | ||||
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枡形横の入り口通路から見た表門。 奥に見えるのは主屋。 枡形から裏門まで 見取図に戻る |
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| 元禄9年(1696年)に建てられ、文政6年(1823年)に 修復され、平成12年に解体修理をした。 |
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| 3.キササゲ | ||||
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主屋玄関から見た キササゲの木 枡形から裏門まで 見取図に戻る |
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| 一年草豆科のササゲのような莢がたれさがる。 このキササゲの実は漢方薬となる。 この木は北条早雲が植えたという、言い伝えがある。 |
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| 4.役所跡 | ||||
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| 代官所の事務所は、この梅林にあった。 | ||||
| 5.欅(けやき) | ||||
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| 宿り木の親木のセンダンは枯れてしまったが、その欅 の根は地面に届いていたので、そのまま成長して、 今の大きさになった。 |
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| 6.土間 | ||||
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土間には大かまど、パン釜、生き柱 などの展示がある 枡形から裏門まで 見取図に戻る |
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| 床を土で固めた部屋を土間というが、コンクリートが ない時代は、赤土、砂、石灰に苦汁を 加えて ねり、たたき固めたので「たたき」といわれ、 三和土と書いた。 土間は火を扱う台所や、藁仕事など作業場 として使われ、苦汁が適当な湿気をよぶので、ほこりが たたない。 |
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| 7.生き柱 | ||||
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| 礎石がなく、削り方が他の柱と違うなどに 気付く。 文化年間の修理の時、不審に思い根元を130cm ほど掘り下げたが、途中であきらめた。 江川家がこの地に移り住んだ時に、生えていた 欅をそのまま柱として利用したものと考えられ、 大事にされている柱で、生き柱とよばれている。 |
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| 8.棟札箱 | ||||
家が建てられると、その年月日などを記して納める箱である。この箱には、日蓮聖人が、江川家が火事などにあわぬようにと書いてくれた防火符が納められている。 16代英親(1261年)の 時であり、その後この家 は火災にあっていない。 |
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小屋裏は、たくさんの桁・ 貫で組まれ、くぎを使わ ない工法が耐震構造と なっている。 |
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| 9.井戸 | ||||
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| 建長年中(1250年)より、江川家では、酒造を営んで いたといわれるが、古くから酒造用や生活用水として、 この井戸を利用してきた。 |
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| 10.西蔵 | ||||
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| 建築は幕末。正面と側面から見ると、わずかに内側に 傾いている、このような建て方を「四方ころび」という。 屋根の形は、兜を思わせるので「兜づくり」、庇は石で ふき、正面から見ると将棋の駒形に見えることから駒蔵 とも呼ばれてきた。(平成12年解体修理) |
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| 11.南米蔵・12.北米蔵 | ||||
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| 南米蔵 明治25年に建築された米蔵である。 北米蔵 大正8年に建築された。 南北米蔵は置屋根、下見板が取り外しできる作り方 になっている。(平成12年解体修理) |
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| 13.武器庫 | ||||
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| 幕末に建築された。農兵が用いた鉄砲、火薬の原料 などが保管されていた。(平成12年解体修理) |
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| 14.パン祖の碑 | ||||
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| 西洋式パンは16世紀に日本に伝来したが、キリシタン 禁教令とともに製造は禁止されたという。坦庵公は、 外国と戦争になった時、兵隊の食料を確保することは 何よりも大切と考え、保存のできるパンを焼くことを思い つき、長崎のパン職人「作太郎」が江戸に来たことを 知って、手代の柏木忠俊に、その製造法を学ばせた。 作太郎は、江川邸に来て、パン窯の作り方、パンの 焼き方の実際を示した。 全国より砲術を学びにきた多くの若者が、このパン 焼き法を身に付け、それぞれの国に帰った。 全国パン協議会では、坦庵公が西洋式パンを全国に 広めたこの功績を称え、昭和28年にこの碑を建てた。 |
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| 15.びらん樹 | ||||
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| 暖地に自生するバラ科常緑樹で、6月ごろ幹の皮が 剥がれて落ちるのでこの名がある。別名、バクチノ木 (博打の木)ともいわれる。葉は煎じて、咳止めや 鎮静剤として使われた。 屋敷には、漢方薬として利用されたいろいろな木が 植えられている。 |
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| 16.裏門 | ||||
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| 古くは茅葺き屋根であった。門扉の表側には、多くの 凹んだ跡があるが、指をさし込むと鋭い金属に触れる。 天正18年(1590年)、秀吉の小田原攻めで、韮山城 の砦であったこの家も攻められたが、その時の銃丸や 矢じりの跡である。 (昭和62年修理、扉は古いものをそのまま使用) |
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| 17.韮山郷土史料館 | ||||
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| 企画展示室(1階右側) 年2回の企画展を開催。主として江川家に伝来 した、古文書・書画などを中心に展示している。 常設展示室 弥生時代後期の山木遺跡をはじめ、市内に多数 存在する遺跡の出土品を中心に、旧石器時代から 戦国時代にいたる伊豆の国市地域の歴史資料を展示。 山木遺跡の出土品のうち、木製品など239点は、 国の重要有形民俗文化財に指定されている。 |
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